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歴史を知って、留学先の言語と街に関心を持つ
原典は、ワーホリとフィリピン留学を経験し、当時ETHOSで働いていたかずきさんが、フィリピンで英語が使われる背景を紹介した記事です。歴史を知るとセブ島の観光も少し楽しくなるという本人の関心を残します。
著者は参考資料と書籍・ネット情報を合わせて書き、誤りの可能性にも触れていました。今回の編集では公的年表や教育史、言語研究を照合し、歴史を現在の全ての人の性格や英語力の説明に使わないよう整理します。
マゼラン到着とスペイン統治の時期を分ける
外務省の略史では、1521年のマゼラン到着と1571年のスペイン統治開始を分けています。原典のマゼラン、ラプラプ像やマクタン島への関心を、地域の歴史を調べる入口として残します。
原典の改宗の経緯、ラプラプの宗教、戦闘の細かな戦術やサラゴサ条約だけで植民地化を説明する記述は、今回確認できた年表の範囲を超えるため採用しません。宗教に対する著者のイメージから人物像を判断する表現も使いません。
1898年の独立宣言と、その後の米国統治
外務省の略史では1898年6月12日にアギナルド将軍がスペインからの独立を宣言し、同年12月10日に米西パリ講和条約が調印されています。原典の同年にアメリカから独立宣言という説明は修正します。
同年の宣言だけで独立がそのまま実現したという流れにはしません。公的年表は1899年の第一共和政と米比戦争、1902年の米領政府発足を記載しています。原典の政治家の動機、独立全面協力の約束、売買金額や合法性の断定は、今回の年表から確認できる出来事と分けて省きます。
米国統治期の教育と、フィリピン人教師の役割
原典は米国統治期の教育とトマス号で来た教師たちを紹介しています。教育省Nueva Ecija地方部門の歴史資料でも、1901年に来たThomasitesの地域への配置、1901年の教育法と公教育組織、英語を含む高校の科目を説明しています。
同資料は現地の学生への訓練やフィリピン人教師の役割にも触れています。原典内で食い違う教師人数や全学校・全教科を一律に英語とする説明は使いません。国民に劣等感や米国への憧れを植え付けたという全員の心理の断定も採用しません。
日本軍政と1946年の独立も含めて見る
原典はスペイン・米国統治から1946年の独立を中心にしていました。今回確認した外務省年表には1935年の独立準備政府、1942年の日本軍政、1946年7月4日の共和国独立もあり、その間の出来事を省いて単純化しないよう補足します。
独立したから全ての米国人教師との接点が直ちになくなった、当時の人の方が現在より英語が上手かったという比較は採用しません。植民地統治を英語学習の恩恵だけで評価する結びも改め、政治の歴史と言語・教育の歴史を分けて理解する記事にします。
フィリピン英語とタグリッシュを混同しない
外務省の基礎データは、公用語をフィリピノ語と英語と説明しています。Maria Lourdes S. Bautistaの2004年の言語研究の要旨では、Taglishをタガログ語と英語の切替えとして扱い、二言語使用者の言語資源として論じています。
原典のフィリピン英語はそのまま全てタグリッシュ、米国人教師が減ったため英語が劣化したという説明は使いません。人の背景や場面によって言語の使い方は異なり、国籍だけから授業や講師の能力を順位付けしない整理にします。
歴史への関心を、現地の人との学びにつなげる
原典は街の看板や英語の使われ方、教会や歴史の像への関心と、ETHOSで働くスタッフ・講師のインタビューを関連づけていました。歴史の知識だけで人を決めつけず、現地の人の経験や言葉にも耳を傾ける視点を残します。
ETHOSを含むフィリピン留学でも、学ぶ授業と生活の希望を具体的に考えられます。全員が字幕なしで映画を見る、全ての仕事で英語が必須、特定国籍の講師なら必ず優秀という原典の一律説明や広告の成果保証にはしません。
参照:Bautista(2004):Tagalog-English code switching研究要旨
出典:ETHOS原記事。本文は当時の体験を基礎にし、宣伝枠と属性を一括りにした否定的表現を除いています。




